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【河北新報】被災地ツアー支える 気仙沼のボランティアガイドが奮闘

被災地を支える「被災地ツアー」が広がりを見せている中、ボランティアガイドが活躍している様子を紹介した河北新報の記事をご紹介ます。



河北新報ニュース 被災地ツアー支える 気仙沼のボランティアガイドが奮闘

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市で、市外から訪れる人々を案内する「被災地ツアー」が広がりを見せている。ガイドを担うのは、津波で自宅を流されるなどした観光ボランティア。市民の立場から震災の風化を防ぎ、地域の復興につなげようと奮闘している。

 「建物の2階まで浸水し、屋上に避難した約1000人が助かった」「車で逃げた多くの人々が津波にのまれ、亡くなってしまった」
 気仙沼市の魚市場。「観光ボランティアガイド気仙沼」の鈴木晴夫さん(73)は、拡声器を手に震災当日の様子を克明に語った。
 この日は、宮交観光サービス(仙台市)の「気仙沼応援バスツアー」に参加した約40人を案内。参加者は真剣な表情で聞き入り、涙を浮かべる人もいた。
 観光ボランティアガイド気仙沼は、市民が1時間1000円の料金で、観光ガイドを行う自主組織。震災の影響で一時活動を休止したが、昨年10月から受け入れを再開した。月10組程度の団体・個人から申し込みがあり、魚市場や被災した市街地などに案内している。
 ガイドのメンバーは約30人。元教員や元船員など職種はさまざまだ。震災では2人が津波に巻き込まれて亡くなり、分かっているだけで6人が自宅を流された。
 鈴木さんも気仙沼市南郷の自宅が津波で全壊し、仮設住宅で暮らす。ガイド仲間を亡くしたこともあり、震災当日のことを話すと、今も胸が苦しくなるという。それでも「被災地以外の人に津波の恐ろしさを知ってもらい、避難の教訓にしてほしい」との思いで、ガイドを続けている。
 ツアー客の反応も上々だ。仙台市青葉区の主婦(73)は「テレビで惨状は見ていたが、実際に地盤沈下した街を目の当たりにすると震災の大きさを実感した」と言う。利府町の団体職員男性(62)は「被災地で買い物をすることで経済的な支援になればいい」と語る。
 観光ボランティアガイド気仙沼副会長の武山皓吉さん(72)は「震災の実態を見てもらうことは、今後の防災教育につながるはず。生まれ変わる気仙沼の街を毎年訪れ、復興の動きを肌で感じてもらえればいい」と話している。

<基幹産業再生へ結集>

 気仙沼市は基幹産業の一つに観光業を据える。震災前の年間観光客数は約260万人。主力の遠洋漁業が低迷を続ける中、十数年前から食産業とともに軸足を置くようになった。震災で壊滅的な被害に遭ったものの、再生に向けた関係者の思いは強い。
 若い市民によるまちづくりグループ「気楽会」は、昨年10、11月に被災地を歩くツアーを実施。市も今月中に震災後の観光の在り方を考える官民の「戦略会議」を組織する方針だ。
 当分は、被災地のありのままの姿を見てもらう形になるが、観光客の中にはピースサインをして記念写真に収まる人もおり、まゆをひそめる市民もいる。
 気仙沼観光コンベンション協会の熊谷俊輔主事は「マナーを欠く人が一部にいるのは事実。ただ、多くの方々は被災者に配慮して見ていただいており、苦情が寄せられてはいない。ツアーの受け入れは、プラスの部分が大きいはず」と語る。
 市観光課の加藤正禎課長は「ボランティア活動を通して、市民と市外の人々との交流は震災前よりかなり深まった。観光でも気仙沼に来てもらい、地域の活性化につなげる仕組みを作っていきたい」と話している。

被災地ガイドは大変な悲しみを乗り越えてのボランティア活動です。
訪れる側も、どのような支援が待たれているか、その地にすむみなさんがどう感じているかを配慮しながら、訪れたいものです。


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